みちのく潮風トレイルを歩き切ったハイカーの皆さんから、歩くきっかけや道中の思い出などをお伺いしている「ハイカーズボイス」
お2人目は、2020年11月中頃から12月までの約1か月間でみちのく潮風トレイルを歩かれた池田暁則さんです。
みちのく潮風トレイルを歩こうと思ったきっかけ
僕は2020年11月中頃から12月までの約1か月間みちのく潮風トレイルを歩きました。
歩くきっかけになったのは山道具屋の店主との会話からでした。
店主に『少し自由に動ける期間ができたのでせっかくやから長い期間でできることないですかね?』と話しました。
するといくつかの提案をしていただきその中の一つに【みちのく潮風トレイル】がありました。
東北には行ったことがなかったけど青森から仙台まで観光地を巡るのではなく田舎町などその土地を見る一人旅などをしようかとも以前に自分で考えたりしていたので【みちのく潮風トレイル】の話を聞いたとき『ピンっ』と来て1週間後には気づけば青森に立っていました。
歩いていて心に残ったヒト・モノ・コト、出来事など
歩き始めの日は寒波到来で雪が降りスマートフォンの100%あった電池も寒さと強い風ですぐに10%になるような状況で歩き始めました。
そして歩き終わった時も寒波到来でした。
僕の【みちのく潮風トレイル】は寒波に始まり寒波に終わるというものでした。
その中身はさまざまな出来事、出逢いがありました。
初日の夜は氷点下の中シュラフも出さずシートに包まりながら震えながら寝たり、まだ日が出てない氷点下の早朝に高家川を渡渉して下半身がビショビショになったり、足裏の大きなマメが潰れたり、本州最東端の魹ヶ埼からのんびり日の出を見たり、道に迷ってあせったり、1日50km以上歩いたりといろいろありました。
その中でも特に印象に残っているのは震災跡や復興工事、そして人の優しさ、出逢いです。
トレイルを歩いていると地面が割れているところも多く震災後に手付かずの場所もある。
津波がこの高さまできたというような物も設置されていたり、港付近は工事をしてるとこが多かった。歩きながらもあらためて震災の凄まじさを感じました。
そしてたくさんの人たちとも出逢いました。
歩き始めはさまざま不安などが大きく歩くことで頭がいっぱいだったが歩き慣れてくると自分からすれ違う人達に『おはようございます』などの挨拶をするのが気持ちよくなってよく挨拶をしたり、たくさんの人たちにと小話をしました。
歩き始めて数日が経った時、舗装路の隅っこを歩いていると『がんばれー』と走る車の中から応援の声があり、かなり驚いたが嬉しくなるようなこともありました。
越喜来のペイントハウス[潮目]ではさまざまな方との交流、優しさに触れ合いました。
碁石海岸のビジターセンターではクリスマスに向けてのリースづくりをしたり新聞社の方の取材を受け、まさかの新聞に載るということもありました。
唐桑町ではたまたま挨拶した方をきっかけに近くにある古館の震災の時にも活躍した大釜や、味噌蔵を見させてもらいました。
名取トレイルセンターの方々にも大変お世話になりさまざまなお話をしました。
そういう人の優しさに多く触れ合ったおかげで僕ももっと人に優しくなろうと思うようになり少し変われた気がします。
歩き終わっての感想
歩き終わってみると長いようで短かった約1000km。歩き終わった時は『終わったぁー』という[達成感]も少しはあったがそれに以上に『もう終わってしまうんかぁー』という[寂しさ]、[まだ歩きたい]と思う気持ちの方がかなり大きかった。
松川浦のエンドポイントから数km手前からは歩きながらさまざまな出来事、出逢いなどが走馬灯の様に頭に浮かんで少し涙が出ました。
楽しいこと、良いことだけではなく不安や苦労、大変なことも多くありそれも含め充実した日々があったからこそ終わることに寂しさを感じ、その充実した日々を終わらせたくないからまだ歩きたいと思ったのではないかと思う。
そしてそのさまざまな経験のおかげで僕も人として成長することができ、歩いてホントによかったと思っています。
もっと多くの人が【みちのく潮風トレイル】を歩き、たくさんの人たちと交流し、いろんなモノを見て感じて、さまざまな経験をするという良い文化がもっと根付けば良いなと思います。
最後に、さまざまな経験をさせてもらったこのトレイルを整備してくださった人たち、町の人たち、出逢った人たちにはとても感謝しています。
ありがとうございました。