みちのくトレイルクラブより

加藤正芳連載スタート!〜兄の想いと共に〜

2021/09/01 みちのくトレイルクラブ
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 NPO法人みちのくトレイルクラブの立上げ当初からの理事、加藤正芳の連載「みちのく潮風トレイル 全線1,025km踏破して」が、東北の道の駅の公式ウェブマガジン「まいにち・みちこ」でスタートしました。連載スタートに先立ち、歩き続けた加藤の想いを一部ご紹介します。

「みちのく潮風トレイルが開通したら、自分の代わりに歩いてほしい。」

 「(前略)わが国において、今では「ロングトレイル」という言葉はごく一般的に認知され使われるようになっているが、加藤則芳はわが国のロングトレイルハイカーの草分け的存在だった。自然保護の観点から日本や世界の国立公園や巨木の調査を続けていく中、アメリカの自然保護の父といわれるジョン・ミュアーに出会い、その思想に基づいて作られた極めてハイレベルなアメリカの国立公園法の思想に深く共感した。そしてわが国にもそういうレベルの自然保護の思想を根付かせたいという強い情熱を持ちながら、アメリカの「ロングトレイル文化」を日本に紹介し、日本にも本格的なロングトレイルを作ろうと生涯をかけて情熱を傾けてきた。「社会人である前に本来自然人であった」はずの人間は、自然の中に身を置き長く歩くなかで自然の大切さ素晴らしさを再認識し、自然と共生し守ろうとする姿勢をとりもどしていけるのではないか、という考え方が原点にあった。

加藤正芳の兄、加藤則芳さん

 兄は残念ながら道半ばにして難病で帰らぬ人となった。その兄の形見である愛用の緑色のバンダナを手に松川浦のゴールにある表示板に触れたとき、10年前のその時の兄の表情がはっきりと甦ってきて心の中で「やっと約束を果たせたよ」とつぶやきながら、なにかほっとした気持ちと、則芳の夢の一つでもあった三陸沿岸のロングトレイルがこうして素晴らしいトレイルとして現実のものとなり、多くのハイカーが歩きつつある状況を天から見ながらさぞかし喜んでいるだろうなという思いと、自らの足で歩きたかっただろうなという思いがこみあげてきて胸が熱くなった。(後略)」

お兄さんが愛用していたバンダナを身につけ歩いた

 NPO立上げから理事を務める加藤は、NPO設立前、2016年10月から2021年4月にかけて、1,000キロを超えるみちのく潮風トレイルを全線踏破しました。これは加藤がみた三陸沿岸の景色と、トレイル沿いの人々との出会いが綴られたテキストですが、その足取りに、お兄さんである加藤則芳さんは常に伴走されていたのかもしれません。不思議な出会いが何度もあったそうです。

 みちのく潮風トレイルがこの世に生まれるきっかけを作ってくれた加藤則芳さんに、私たちNPOのスタッフは誰もお会いしたことがなく諸先輩方から語り継がれるお話を聞くばかりです。みちのく潮風トレイルを歩きながら、行き帰りでセンターに立ち寄り、トレイルのこと、地域の人々のこと、お兄さんのこと、自然保護について、長く歩く旅の魅力について、様々に語ってくれる加藤理事からも、少しずつその理念、信念を学んでいます。

「350キロの三陸トレイルをつくりたい」

 「(前略)ぼくが兄・則芳から、カナダの「ウェストコーストトレイル」という75キロの海岸トレイルのようなロングトレイルを三陸沿岸に作りたいという話を初めて聞いたのは多分2006年か2007年頃だったと思う。「ウエストコースト・トレイル」はカナダ西部のバンクーバー島にある、砂浜あり岩場あり崖ありのチャレンジャブルなトレイルで、ちょうど当時岩手県庁の自然保護課で陸中海岸沿いの自然歩道にも関わっていた則芳の小学校時代からの大親友・岡野治さんとのやりとりもあって、三陸エリアに「点在している国立公園、国定公園、県立公園などの自然歩道をつなげれば350キロに及ぶ三陸トレイルができる」はずだ、ということだった。
 岡野治さんは、ぼくにとっても同じ小学校中学校の一級先輩であり、中学では同じテニス部で則芳とともに先輩だったので、よくわが家にも遊びにきていた方だ。則芳が山を歩くようになったのは、山歩きに詳しいこの岡野さんと一緒に奥武蔵や奥秩父等の山を歩くようになったのがきっかけだったと思う。彼は千葉大の園芸科を卒業した後岩手県の自然保護課に勤務していたが、まさに則芳にとっては大親友の岡野さんのことが頭にあって「三陸トレイル」の話になっていったのは間違いないと思う。ただこの「三陸トレイル」作りの提言は時代の流れの中で当時はほとんど振り向かれることがなかった。(後略)」

 加藤則芳さんの頭の中には、震災よりはるか前から三陸沿岸のトレイル構想があったそうです。文中の大親友・岡野治さんには、今のみちのく潮風トレイルの一部になっている「陸中海岸自然歩道」が計画されていた40年前のお話しを聞かせていただき、道づくりに関わった諸先輩方も紹介、取材もさせていただきました。岡野さんは今なお、則芳さんの親友として、みちのく潮風トレイルを見守ってくださっています。誰がどんな想いでこの道を作り守り続けようとしているのか。加藤則芳さんの思想と共に、多くの方々の願いを語り継ぐことはとても大切だと思います。

加藤は、埼玉からはるばる三陸まで何度も通い、全線歩き通した

「官民地元共同で作り上げていければ間違いなく震災復興の大きな力に」

 「(前略)ぼくが次に則芳からこの「三陸トレイル」350キロの話を則芳から聞いたのは、2011年7月ころから2012年始めの頃にかけて、既にALSで動くこともままならない状況になって入院していた北里病院に見舞いに行った病床でのことだった。則芳は、東日本大震災によって壊滅的な打撃を受けた直後から車椅子姿で環境省を訪れ、三陸沿岸に人が歩く道「ロングトレイル」を作ることが様々な観点から復興への道につながることを強く提言しており、その結果「三陸復興国立公園」構想に基づく新たな発想によるトレイル作りへの動きがスタートしていた。病床で「前に話していた三陸トレイルがいよいよ実現に向けて動き出した。なによりも環境省が震災復興のプロジェクトとして本格的に動き出している。局長や課長クラスの人たちだけでなく意識の高い若手の人たちもたくさんいて、組織をあげて動き出してくれている。これは間違いなくいよいよ実現するぞ」と興奮気味に語るそのうれしそうな表情は今でもはっきりと目に焼き付いている。(後略)」

加藤兄弟を魅了した三陸沿岸の景色

 震災直後から沿岸で懸命にトレイル作りに奔走されていた多くの環境省の皆さん顔が目に浮かびます。みちのく潮風トレイルは結果、震災がきっかけで作られることにはなりましたが、カナダやアメリカ各地のハイレベルな自然保護の思想と共にある様々なトレイルを経験してきた則芳さんが願った日本の海岸トレイル。それだけの魅力がつまった三陸沿岸。加藤理事の一歩一歩が綴られたこの連載を読み、歩く旅の面白さと三陸の魅力に想いを馳せていただければ幸いです。

 そして、ぜひはじめの一歩を踏み出してみてください。(文責:相澤)

著者 : みちのくトレイルクラブ

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