みちのく潮風トレイルも全線開通して2年が経ち、トレイル上でハイカー同士がすれ違うほど、多くのハイカーが歩いてくれるようになりました。
HPをご覧いただいている皆さんにも、より深くみちのく潮風トレイルの魅力を知っていただきたく、1,000kmを超える長い道を歩き切ったハイカーの皆さんに以下の質問をさせていただき、いただいた回答を「ハイカーズボイス」としてHPでも紹介していきたいと思います。
記念すべきお一人目は、2016年4月から八戸市~久慈市、相馬市~女川町をセクションハイクで、2021年3月から女川~久慈を通しで歩かれた高澤和大さんです。
みちのく潮風トレイルを歩こうと思ったきっかけ
みちのく潮風トレイル憲章の一つ「震災をいつまでも語り継ぐための記憶の道とします」という理念に接し、東日本大震災の記憶にあらためて向き合いたいと思ったことが歩くきっかけです。
私は仙台の出身で、震災の発生時も仙台で会社員をやっていました。ですがその後、東北から離れ、復興にも直接的には関わりのない仕事をしていた時期があります。もちろん、その仕事や、仕事をしていた地方での生活には真摯に向き合っていましたが、東北との繋がりを希薄にしてしまったことへの後ろめたさを抱えていたことは事実です。
そんな折に、たまたま八戸を訪れる機会がありました。蕪島にあるみちのく潮風トレイルのヘッド&エンドポイントに立った時、何か忘れていたことを思い出したような感覚があり、この道を歩きたいと思ったことを覚えています。
歩いていて心に残ったヒト・モノ・コト、出来事など
私は仙台で長く暮らしていましたので、みちのく潮風トレイルの沿線における震災前の記憶が多くあります。震災後は沿岸部から足が遠のいてしまい、積極的に訪問することはありませんでしたので、今回の旅はかつての記憶を上書きしていくものになりました。
震災前と変わっていないと思える景色もあれば、以前の姿が思い出せないほどの変化を遂げた場所もあり、そういった景観に対して、震災を乗り越えて未来へ繋がる希望を感じることもあれば、どうしようもない喪失感に襲われることもありました。出来事という質問の答えにはなっていないかもしれませんが、10年間の時空を埋めるように、歩きながら様々に心が動いたことが思い出されます。
歩き終わっての感想
ここまでお話させてもらったように、トレイルを歩いた目的は記憶の整理という自己完結的なものです。コロナ禍ということもあって、あまり人とは接さずに黙々と歩くつもりでしたが、そんな心構えで歩いていても連日のように地元の方との出会いがあり、本当にたくさんの想いに触れることが出来ました。多くの場合、地元への愛着と誇りが伝わってきて、そんな想いの数々は自分の中へ取り込まれていきました。
今は故郷である仙台に戻って暮らしている私ですが、これまでに出会った方々の想いを道しるべとして、あらためて日々を大切に過ごしていきたいと思っています。そう思わせてくれたみちのく潮風トレイルと、すべての出会いに感謝します。ありがとうございました。